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一年ちょっとの介護が終わってみて思うこと

父が亡くなって思うことがたくさんあります。それは一つには後悔であったり、悲しみであったり、それが入り混じってまるで、あの時、あの選択をしてなかったら、という思いが

思い出とともに繰り返しやってきます。もしもあの時、そういう選択をしなかった後の未来を想像したりするのです。

一つには、あれほど嫌がっていたペースメーカーをどうしていれてしまったのだろうかという後悔でした。2020年、左の耳が突然聞こえなくなったとき、近所の耳鼻科で調べて、

緊急でマリアンナ医科を紹介され受診しました。ステロイドの一週間の入院治療を進められ、その手続きの時、先生方は大変な騒ぎに。こんな不整脈で緊急入院と大騒ぎです。

ペースメーカーをいれないと入院治療できないと言われ、本人は歩いてもいけないと

車いすに乗せられて、大変な騒ぎです。結局、父は絶対に嫌だといって、先生を説得して

家に帰ってきた事件がありました。その段階で耳が治療できなかったために、左は全く聞こえなくなりました。その半年後今度は右耳が聞こえにくくなり、別の耳鼻咽喉科へ。その時は飲み薬のステロイドであっという間に回復。そのステロイドの効き目は、本当にすごくて

なんと、歩行までスムーズで早くなったことを思い出します。

最初の後悔は、あの時、あの医者でなく、2回目に訪れた先生にお願いしていたら、今も

両耳が聞こえたかもしれないということ。。。

父の不整脈は20台からで、それでも何事もなく元気に過ごしていました。恐らく身体の中で上手にバランスを取りながら、問題なく動いていたのでしょう。

多摩病院で、硬膜下血腫の手術の後、弱った身体にすぐに別の手術。その日は37度5分あったらしいのに、強制執行。その日を最後に父は話すことも食事をすることもできなくなりました。あの手術は本当に必要だったのか、今でも思います。もしもペースメーカーをいれてなかったら、もしかして今も元気でいたかもしれない、そう私も母も思うのです。

そして次の後悔は、家に帰ってきてから、比較的すぐに、食べる訓練をするために東名厚木病院にはいってもらったほうが良かったかもしれないということ。食べることができれば、人は元気になることができると思うのです。病院側で、99.9%無理と言われたとしても

無理に訓練すれば、なんとかなったのではないかと。。。箱根では少しでもご飯が食べられたことや、帰ってきたばかりのころ、どうしてご飯たべれないの?おなかが減った、ラーメンが食べたい、ってはっきり口にだしていったのを今でも思い出します。時間がたてばたつほど、廃用が進むという知識も当時はほぼなかったため、早めの訓練が大切だったこと。今年こそ、入ってもらって訓練しようと思ってたのに、体中の筋肉が落ちてきっと気力もなくなってしまったんではないかと思います。そして直近で私が2週間のハワイ帰国から戻った時には、あまりの弱り方に本当に驚いてしまった。こんなことならば、帰らないければよかったかもしれないって。。。いろんなことが頭をぐるぐる回ってきます。もともと本当に丈夫なひとで、悪いところがひとつもなかったのに、病院のせいでこんなにされて、、、と

本当に悔しい思いでいっぱいです。


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